中世倭人伝 (岩波新書)



中世倭人伝 (岩波新書)

ジャンル:歴史,日本史,西洋史,世界史
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環シナ海のマージナル・マン

この本で中心となる視点はマージナル・マン(境界人)である。
現代では中国・北朝鮮・韓国・日本とはっきりと国家によって仕切られた地域。
国家の境界は海の上にも引かれている。しかし、この書の舞台となる中世はそもそも国家という輪郭自体がはっきりしなかった時代。陸地ですら境界がはっきりしない当時、国家権力に服属しない海の民達が国家を意識して行動したか・・・もちろん、意識したわけがない。

朝鮮南部を中心とした地域で活躍したマージナル・マンは倭と総称された。
今では高等学校世界史の教科書でも後期和冦は王直を初めとする中国人が中心であったと記述している。ちょっと歴史をかじった人ならば和=日本人という考え方はしないであろう。
倭とは朝鮮・日本という中世国家の端境に生きる人々の総称であり、国家に属さない自由な海洋人達である。時には漁師、時には農民、時には貿易商、またある時は海賊とその場その場に応じた姿を見せる。

彼らは国家との対応に置いても臨機応変。そのような国家と倭との接点の一つが三浦である。そこでは統制に置こうとする朝鮮王朝、倭の背後にあって影響力の拡大を図る対馬といった政治権力の角逐の場であると同時に倭の自由な海洋活動の一拠点でもあった。三浦の盛衰は倭の興亡とも軌を一にしている感がある。
倭が三浦を失った頃、南方海上ではポルトガルが勢力を拡大しつつあった。日本では戦国時代もいよいよ終わろうとし、大陸では清が着々と勢力を伸ばしていた。
倭とは中世の申し子であった。中世から近世へと歴史が動く中、倭の活動は少しずつ衰退していくことになる。

尚、江戸時代の日本と朝鮮王朝との関係では『倭館―鎖国時代の日本人町』(田代和生著)が参考になる。倭館は三浦の後継者と言えなくもない存在であるが、両者を比較すると中世と近世との違いがよくわかる。
倭=日本ではない

日本人は常識的に、倭人伝や倭寇という言葉の「倭」が「日本」を意味すると思っている。しかし著者によれば、けっして「倭=日本」ではない。倭人とは人類学の用語でいう「境界人(マージナル・マン)」であり、日本・朝鮮・中国の国境をまたぐ東シナ海域で暮らす、いずれの王朝にも帰属しない人間集団である。民族的には、当時もっとも分権的状態下にあった(東シナ海沿海部の)日本人が多いにせよ、多数の朝鮮人・中国人も「倭服」を着て「倭賊」を称していたという。そして実際、16世紀の後期倭寇の頃には中国人が主体になっていた。

著者は『朝鮮王朝実録』を丹念に読み、時には倭寇として強盗・人身売買を行い、その対策として朝鮮側が認めた三浦の交易場では、相手の都合を顧みず少しでも多くの貿易利潤を追求する倭人という存在について、いわば元祖エコノミック・アニマルだったと述べる。中央政府の統制力が極端に弱く、自力救済が社会慣行になっていた中世日本社会ではぐくまれた、利にさとく機敏に行動する倭人の姿は、朝鮮側にはエネルギッシュで自由奔放な存在に見えたらしい。そして、三浦という猫の額ほどしかない倭人の居留地が、朝鮮社会に巨大な経済的影響を与え、ソウルの政財界を巻き込むスキャンダルさえ引き起こしたのは、それが朝鮮社会とはまったく違った、ガン細胞にも比すべき異分子だったからだと倭人と朝鮮人の違いを強調する。

明治以降の近代日本は東アジアの冊封体制の破壊者としてふるまったのだが、本書によれば早くも中世において倭人(日本人の一部?)は東アジアの伝統的社会を壊しかねない危険な存在として捉えられていたことになる。今後はこの違いがいったい何に起因しているかについて考えていきたい。
倭寇を再考させてくれる

この書は、そんな「チャングムの誓い」というドラマが扱っている時代と見事マッチしており、朝鮮が倭寇にいかに悩んでいたことを教えてくれる。
また一方で、「倭人=日本人」という考え方の危うさを学術的にも教示してくれる。
そういう意味では、「チャングムの誓い」で倭寇により済州島が襲われた際に描かれた倭人に対し、我々が違和感を感じたことが、逆に史実に合わせていたとも考えさせる。倭寇は、日本人だけではなく、朝鮮人や中国人を含んでいたが故に、ドラマで描かれた倭寇が片言の日本語を話し、日本人には思えない姿・格好していたのかも知れないのである。
韓流ドラマ「チャングムの誓い」に興味のある人にとっては、「朝鮮実録」の廃朝燕山君や中宗の項が引用されている本書は、一読である。
下からの地域形成の意義と限界

 1949年生まれの日本中世史家が1993年に刊行した230頁ほどの新書本。本書の意図は、第一に境界性を帯びた人間類型(マージナル・マン)により創り出された「国境をまたぐ地域」に焦点を当てることによる、国家や民族を相対化する視点の探究であり、第二に制度に基づく国家間関係史から多元的な主体によるより混沌とした地域史(三浦を例に)への重点の移動であり、第三に『朝鮮王朝実録』という史料の魅力の紹介(したがって、現実社会への処方箋よりも事実の紹介に重点を置く)である。15世紀の「倭寇」は「環シナ海地域」の国籍や民族を超えたレベルでの人間集団であり、彼らに共通する倭服・倭語も日本本土の服や言葉とは異なるものであった。彼らは一方で各地を襲撃して定住民に甚大な精神的・肉体的被害を与え、国家秩序を動揺させたが、他方では諸民族雑居や交易を発展させ、また重税からの逃避の場を提供した。朝鮮政府は倭寇懐柔策として三浦を窓口とした交易を奨励したが、倭人(対馬島主の統制下)はここに定住を始め、やがて役人との癒着、住民や商人との密貿易によって、朝鮮社会に重大な経済的影響力を及ぼしてゆく。それは朝鮮政府を警戒させ、やがて1510年の三浦の乱を帰結し、結果的に三浦の倭人居留地は消滅した。その後も交易と小競り合いは続くが、日本銀の輸出と関連して16世紀半ば頃には対馬や朝鮮の統制の利かない「唐・倭未弁」の賊が多数出現し、ここに「環シナ海地域」の密貿易ネットワーク=倭寇的状況は成熟期を迎える。しかし16世紀には同時に、軍事力の高度な集中による新たな国家形成の動きも見られ、秀吉と清(女真族)の侵攻による明の崩壊後、強化された海禁体制によって、アナーキーな倭寇的状況は終焉する。公権力が上から設定した行政区分にとらわれない、民衆の日常の交流圏に基づく「地域」の形成は、アナーキーな暴力性をはらむと同時に、オルタナティヴな可能性をも示唆する。
倭寇の実像を資料から迫る

いわゆる倭寇に関する著作である。倭寇というと日本人を主体とし高麗を襲った前期倭寇、日本人を含みながら中国人や朝鮮人もその構成員に含まれ、中国沿岸部を襲った後期倭寇というのが一般認識であるが、ことはそう単純ではないことが本書で開陳される。弥生時代の頃から南部朝鮮と北部九州は人的交流が絶えず、いわば共通の海上生活圏を形成していた。それが朝鮮半島と日本列島に統一国家が成立して玄界灘に「国境線」が引かれ、生活圏が分断されたのが倭寇発生の遠因である。本書は朝鮮王朝に「野人」と呼ばれた女真族等とも比較し、室町幕府成立による足利義満による倭寇禁圧、朝鮮側に設けられた倭館である三浦(富山浦、乃而浦、塩浦)に住む人々の生活のありさま、いびつな日朝関係によって苦しむ朝鮮の人々、秀吉の朝鮮侵略、清帝国と徳川幕府成立による倭寇の終焉までを描いている。その後の江戸期の日朝関係については文春文庫『倭館』が参考になる。



岩波書店
倭館―鎖国時代の日本人町 (文春新書)
海からみた歴史と伝統―遣唐使・倭寇・儒教
対馬からみた日朝関係 (日本史リブレット)
境界をまたぐ人びと (日本史リブレット)
高麗史日本伝〈上〉―朝鮮正史日本伝2 (岩波文庫)




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